2009年11月20日

【作業記録】新聞史と高橋財政

今日もNDL。
大阪毎日新聞のIR情報を1926年から31年まで整理。
併行して以下の3冊に目を通す。

◆『毎日新聞販売史』
面白い。社史をきちんと読んでから補足的に利用できるだろう。

◆『本邦新聞社の企業形態』
東京帝大新聞研究室編。
都道府県別のデータが興味深い。
企業名が伏せられているのが残念。

◆『新聞年鑑』
ざっと目を通しただけだが、記述史料が中心。
全国の地方紙の情報を網羅的に掲載。
マイクロではなく現物を手にとってみる必要あり。

この他、井出英策『高橋財政の研究』を第2章まで通読。
とりあえず第2章は精読する必要があるが、やや高橋財政の評価が甘いように思われ、自分の論文には批判的に引用することになろうかという印象。思考を一歩進める助けにはなったので、一応改めてノートをとりつつ再読することにしよう。

明日はさらに営業報告書の読解を進め、社史にも目を通すことにしたい。
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2009年11月19日

大新聞の地方進出

今日はNDLで『総合ヂャーナリズム講座』(全10巻)内外社、1930-31年を読む。
当時第一線で活躍していたジャーナリストたちによる業界案内で、就職を希望する学生などを目当てに書かれたものらしい。満州事変の直前に編まれており、新聞が批判的論調を保ちえたほとんど最後の時期の史料といっていいだろう。驚くほど左翼的な論調で、日本には労働者階級のための新聞がなく、挙げてブルジョア新聞であること、そしてそれは「現体制の下では」当然であることなどが堂々と断言されている。この頃の(一部ではあるが)ジャーナリストの問題意識のあり方がよくわかって興味深かった。

ノートに書き写した史料から言えそうなことをいくつか。
これまでの研究史では、20年代後半から30年代前半の恐慌期に、朝日・毎日系の大新聞が地方での販売部数を顕著に伸ばしたことが指摘されている。関連する書籍や論文を読んだ限りでは、大新聞は地方に進出する際、軍事と経済に関する記事についてとりわけ意を用いていたらしい。今日はこの時期の経済面の変化について上記の講座に即して整理してみたい。


「『大衆の中へ行け』『経済を一般化せよ』と云ふ新らしい使命を目標の下にすゝみ出した経済記事はたしかに最近数年間に目ざましい効果を挙げ得たものと信ずる。新聞の経済知識普及運動は、これまで無智であつた一般人に大なり小なり経済観念を吹つこんだことは事実である。(中略)特に金解禁問題などにからんで新聞の経済記事がいかに解禁の観念の通俗化につとめたかは、余りに新しい事実なので、ここに改めて書くまでもない」


ここからは、新聞における「経済知識普及運動」が20年代後半に勧められ、特に国民的な関心を呼んだ金解禁問題の解説が経済記事の「通俗化」を促したことが読み取れる。この時期、大新聞社は「経済記事の重要性を事新しく問題とするに至」り、「東京朝日も東京日日も其の経済部の編集会議に「始何(ママ)にして経済面の大衆化をはかるべきか」といふことを何度か議論」していた。また、夕刊の2版ないし3版制がとられるようになり、早刷りの夕刊をその日のうちに遠隔地へ送るようになったため、紙面に余裕が生じ、夕刊の相場面などにも投資相談欄などの「通俗的記事」が載るようになった。景気変動の波が広く社会全体を捉えるようになり、経済への関心を高めざるを得なかった人々のニーズに、大新聞は積極的に応えようとしていたものといえる。

こうした経済記事の「大衆化」・「通俗化」は、都市のホワイトカラー層以外の人々をも読者として想定するものであり、地方の農業者向け記事なども積極的に盛り込んだ紙面づくりにつながった。すなわち、それまでは「会社であればどんな小さなものであつてもその変動を記事として扱ふけれども、全国農民の利害に関するといふだけのことでも軽々に附せられるやうなことはザラにあつた」が、「最近になつて東日が農業欄を新設したり、大毎が農業の続きものをのせ出してから、大朝の農村廻りの記事やら、東朝の「明るい村、暗い里」が出されたりするやうになつて、各新聞共に今更らしく目がさめたやうに農業問題を真剣に取り扱ふやうになつた」という。こうした大衆化と地方住民を意識した紙面改革の取り組みとしてとりわけ注目されるのが、地方版における産業欄の新設である。

講座によれば、「これまで都会に多くの読者を持ち、記事の上でも都市偏重の嫌ひのあつた東朝は、農業恐慌による農村の底知れぬ不況に着目し、農村に新しい読者を得べく秘かに画策し、案出された」のが産業欄で、1930年10月13日より東日もこれに追随した。こうした大新聞社の取り組みは、地域に密着した地方紙にとって大きな脅威であり、講座には次のように記されている。


「(大新聞の産業欄には…引用者)中央の諸官庁や、各種団体に渉りをつけ、完備した通信網を利用して、農山漁村の人々が読まずに居られぬやうな記事(農業経営、副業、篤農家の経験談、商況など)が十段にぎっしり詰まってゐる。この欄の創設が、溺るるものは藁をも掴む―農山漁村の人々の間に、大きな反響を呼びつつあるはいふまでもない。地方紙の読者でこの欄の為めに両紙へ鞍替へするものが続出してゐる


大新聞における経済記事の「大衆化」が、地方進出を支える一つの推進力となっていたことがうかがえよう。こうして、31年時点では東朝・東日の総発行部数の3分の2が地方(うち半分は関東)へ発送されるほど、地方は大新聞の販路として重要性を持つようになっていたのである。

と、ここまで書いて読み返したが、講座のみに依拠した記述であるため、まだまだ詰めなければならないところが多そうだ。また、大新聞が地方進出を進める中で、なぜ地方新聞が根強く生き残っていくことができたのか、という疑問も湧く。とはいえ、今のところ大筋ではこんな理解で大新聞の地方進出を説明したいと考えている。明日もNDLでシコシコと史料を集めることにしよう。
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2009年11月18日

書評『新聞 資本と経営の昭和史』

日清・日露戦争を経て巨大企業に成長した朝日新聞が、いかにしてアジア・太平洋戦争に協力してしまったのかを、当時の社を代表する緒方竹虎に即して整理した本。
タイトルの「資本と経営」というのは、資本=創業者家族vs経営=緒方竹虎という本書の描く対立図式を表現したものと思われ、必ずしも経営史的な手法で叙述が分析的に進められているわけではない。
新聞史を学ぶ者にとって興味深い事実も数多く記されており、当時の記者たちが直面した時代状況との軋轢や葛藤はそれなりに面白くはあったが、やや緒方に肩入れしすぎているような部分も多々見受けられ、歴史学研究の最新の成果を取り入れているわけでもないため、タイトルの魅力とは裏腹にかなり欲求不満が残る読後感であった。

とりわけ、戦時期に関する記述は問題があるとさえいえると思う。
反東条の中軸として緒方及びその盟友(中野正剛など)を位置づけているため、東条の傍若無人ぶりばかりが強調されているような印象を受けた。「中野が東条に勝ったのだ」(p.234)などというかなり痛い当事者の回顧をそのまま地の文で使っている箇所などは、違和感のあまり中途で本書を投げ出そうかと思うほどだった。
吉田裕が『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)で指摘しているように、東条は各種の情報メディアを極めて巧みに利用した最初の政治家であり、水戸黄門式の民情視察は国民から熱狂的に支持されていた。そうした東条の芝居がかった人気取り的行動を朝日新聞も積極的に報道しており、国民の東条支持を加熱させる役割を持ったことは否定できない。また、国民の東条支持に迎合することが、新聞発行部数の拡大にもつながったであろう。

これまでの研究史では、大新聞社が「戦争を自己の致富の最有力の手段」とし、「満州事変にはじまる中国侵略戦争は両大紙(朝日・毎日のこと…引用者)にとって汲めどもつきぬ利潤の源泉」であったことが重視されてきた(江口圭一『日本帝国主義史論』)。「社会の木鐸だなどといいながら実は権力と大衆に阿り、一枚でも多くの紙を売ることの外、何の理想も主張のなきが如」し、などという同時代からある批判は、当事者である新聞記者たちにとってはやや言いすぎであり、彼ら自身も言論の自由が制限されていく中でそれなりに苦悩したことは事実であろう。だが、戦争が新聞経営上プラスに働いたことも事実であり、本書のタイトルから言えばこの点こそ突っ込んで検討されるべきではなかったか。資本と経営の問題を社主家と経営者との対立にすり替えてしまっては、新聞と戦争の問題を解く一つの鍵を見逃してしまうと思うのである。

本書の著者は、「今にも通じる、新聞記者の『覚悟と矜持』」として、次のような太平洋戦争開戦から間もない頃の緒方の言葉を引用している。

「新聞記者は、軍人と同じく生命を賭けて仕事をしても、別に勲章をもらうわけでもなく、恩給がつくわけでもない。ただ一途に自分の天職とするところに死をもって働くというだけのことであります。しかしながら、そこが尊いところであると考えるのであります。新聞記者が自分の天職を守って国のため、公のため働く場合、それは決して報酬を望むわけではない。ただ自分の仕事に邁進して行くといふところに、かえって男性的な充実した気持ちがあるのでありまして、この男性的な気持ち、充実した気持ちがあってはじめて、この新聞記者といふ公職を完うすることができるのであります」(p.326)

ここで語られている「男性的な気持ち、充実した気持ち」のゆえに、新聞社は戦争に積極的に協力することになってしまったのではないか? あの戦争のときに「公職を完うする」ということがどのような客観的意味を持っていたのかを問うことはしないのか?そもそも新聞記者の仕事と「報酬」を切り離す緒方の視点は、本書の資本と経営に着目する視点とはかなり食い違っているのではないか? 女性記者がかなり増えている現状の中で、こうした緒方の時局迎合的な言葉を「今にも通じる」と評価する感性には、疑問を感じざるをえない。

略歴によれば、本書の筆者は朝日新聞の政治部・社会部記者を勤めて、執筆当時は総合研究本部(現ジャーナリスト学校)というところにいたらしい。意地の悪い見方をすれば、緒方筆政時代を理想化して現状を批判する本書の論調には、記者たたき上げでありながらおそらくは出世コースから外れてしまった筆者の立場が反映しているのかもしれない。


新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩 (朝日選書824)

新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩 (朝日選書824)

  • 作者: 今西 光男
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/06/20
  • メディア: 単行本



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2009年11月17日

書評『日本の軍隊−兵士たちの近代史−』

民衆史的方法による軍隊史。
これまで軍隊と民衆・社会との関係については、様々なところで批判的な指摘がなされてきた。それらを要領よく、かつ一定の視点からまとめたところに、本書の魅力と意義があると思う。
目次は以下の通り。

【目次】
序章  分析の視角
第1章 近代社会の形成と軍隊
第2章 軍隊の民衆的基盤
第3章 総力戦の時代へ
第4章 十五年戦争と兵士

明治期には近代化の先頭に立っていた軍隊も、大正期には一定程度民主化せざるをえなかったこと、にもかかわらず30年代には「天皇の軍隊」として再び精神主義的色彩を強めていくという、軍隊の歴史段階的変化の整理がとても興味深かった。
また、東北地方が良兵の給源として位置づけられる一方で、乳幼児死亡率が全国で最も高いというパラドックスも、解明を要する課題だということに気づかされた。
高等小学校卒程度の中農が最も積極的に軍隊を支持していたという指摘も、これまで繰り返されてきたことだが、本書によって一層実証的に確かなものとなったと思われる。

ちなみに、本書の結びは、今まで読んできた新書の類の中でも出色の出来栄えであった。

「以上、日本の軍隊の近代史を、できる限り兵士の生活史や社会史に眼をくばりながら、兵士の目線で、自分なりに再構成してきた。そこでのさしあたりの結論は、軍隊の中には、日本の近代化の独特のありようが凝縮された形で表現されているということである。言葉をかえていえば、「昭和の陸海軍」は、日本社会が産み出した異物でも、鬼っ子でもなく、私たちの近代化そのものの一つの帰結だった。私たちは、軍隊の中に、近代化の中でつくりあげられた私たち自身の顔を見出すことが出来るのである」(p.224)

軍隊史は、日本の近代化の過程における最も後ろ暗い部分を構成する。しかし、それは当時を生きた民衆にとっては様々な意味で「魅力」を持つものであり、積極的に肯定され、支持される存在でもあった。
そのこと自体を正面から捉えた上で批判的に整理した本書からは、歴史叙述のあり方について、多くを学ぶことができると思う。


日本の軍隊―兵士たちの近代史 (岩波新書)

日本の軍隊―兵士たちの近代史 (岩波新書)

  • 作者: 吉田 裕
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 新書



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2009年11月16日

公費懸賞金制度と外山恒一

世間では、イギリス人女性を殺害した容疑で逮捕された市橋某について、ずいぶん騒がれているようですね。
この人の逮捕の過程では、公費懸賞金制度が初めて適用されたそうです。
産経新聞は例によって「市民通報も味方にしたい」(http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091115/crm0911150313004-n1.htm)などと抜かしていますが、私はこの公費懸賞金制度は極めて問題のある制度だと考えています。
日本近代警察史のパイオニア、大日方純夫氏による研究(同『警察の社会史』岩波新書)を利用して、公費懸賞金制度の歴史的意義を私なりに整理すれば、以下のようになるでしょう。

日露戦争の講和条約に不満を爆発させた大衆の蜂起、いわゆる日比谷焼き討ち事件(1905年)では、各所の交番が焼き討ちの対象とされ、多くの警官が襲撃を受けました。
それまでの警官は、士族出身者が多いこともあってか、一般市民に対しては横柄で威圧的な態度に出ることが多く、民衆にとっては憎悪の対象となりかねない存在でした。
そこで、この事件をきっかけに警察官僚の上層部は「警察の民衆化」を主張しはじめます。
民衆に畏怖されるのではなく、むしろ親しまれる警察に改革しなければならないという「民衆化」の意図が、強い危機感を背景として前面に打ち出されることになったわけです。

こうした親民衆的な傾向は、大正デモクラシーの影響を受けたものといわれています。
しかし、同時に警察官僚たちは、「警察の民衆化」の先に「民衆の警察化」を展望していました。
彼らは、警察の側に民衆を取り込むことで、民衆を警察化し、最終的には人々の社会的なつながりを秩序の維持のために動員することを目指していたのです。その一つの帰結が、関東大震災時の自警団による朝鮮人虐殺であり、戦時期の相互監視にがんじがらめにされた社会状況だったのでした。

こうした文脈でいうと、公費懸賞金制度というのは明らかに「民衆の警察化」を目指したものであり、我々一人ひとりの社会的なつながりを、公金を梃子にして治安維持に活用しようという試みに他なりません。
全国指折りの「ドヤ街」である西成区あいりん地区のあるおっちゃんは、市橋某をしばしば目撃したことを振り返り、次のように述べています。

「この界隈は、失業したりいろんな理由で流れてくる人も多いし、自分の仕事や生活で精いっぱいや。 通報するところまで気が回らん。けど、よう考えたら懸賞金1000万円もらえたかもしれん。惜しいことをした」 (http://news.aimu-net.com/read.cgi/dqnplus/1258148708/

あいりん地区は、住むところにさえ事欠くような人々が日雇いの仕事を求めて集まる地域であり、しばしば暴動も起きることから、社会の秩序からは最も縁遠い人々が暮らす場所であるといえます。
「自分の仕事や生活で精いっぱい」という周縁的な都市下層民さえも、公費懸賞金制度は金の力で容疑者逮捕に向けて動員してしまうわけです。よくいわれる「監視社会化」を、我々自身の手で進めさせようという意図が、この公費懸賞金制度には込められているように思われてなりません。

もちろん警察の検挙率が上がり、さまざまな犯罪に対する抑止力が有効に機能することは、善良な一般市民にとっては好ましいことでしょう。しかし、監視社会化による治安回復を目指す動きは、治安が悪化しているという一種のフィクションの上に成立しており、人々の問題意識の焦点を巧みにずらしているといわれています。

そうした監視社会化の問題を正面から批判している論客として、ここでは外山恒一氏を紹介しておきます。氏は左翼の運動家として出発し、現在はファシストを自称していますが、2007年の東京都知事選挙に立候補した際、極めて味のある演説をぶって一躍有名になりました。今、私が最も注目している泡沫候補の一人です。

外山氏のHP
http://www.warewaredan.com/

外山氏のブログ
http://ameblo.jp/toyamakoichi/


そんな外山氏を応援するために、私も初めて動画を投稿してみました。
といっても氏の政見放送にBGMを付けただけのシロモノですが。
実を言うと今日の日記は、そんな動画を宣伝したいがためだけに書かれたのでした。
あ、えっと、あの、ちゃんと仕事はしてるんですよゴニョゴニョ…


posted by ykoj at 01:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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